私が現在のような武術を仕事とするようになった、その最初のキッカケは、大学3年の19歳の夏、東北へ畜産の実習に行って、その実習先の大農場の鶏の孵卵場で、卵から孵った雄雛を生きたまま特大ポリ容器に投げ入れ、それが一杯になると、更に足で踏みつけて詰め込み、それを穴に捨てているところを見たことである。いまでも踏みつけられた時の雄雛の悲鳴は耳の底に残っている。これを見た時、人間の身勝手さと業の深さに、かつてないショックを受け、その直後、たまたま雑誌で知った、当時としてはまだ珍しかった玄米・自然食の世界に一気に没入していったのである。
そして、それをキッカケとして現代栄養学、現代医学、ひいては近代合理主義が抱えている矛盾点や問題点に眼を開いていったのだが、その過程で砂糖の問題点、特に白砂糖が体に与える悪影響について知り、これを避けるように努めた。しかし、白砂糖は良くなくて、黒砂糖やハチミツなら良いといっても、どちらも甘い味には変わりない訳で、本当に徹底するには甘いものそのものを摂らないようにならなければ意味がないと思うようになった。
しかし、甘い味の誘惑というのは根の深いもので、何度か甘い物を断ったことはあったが、長続きはしない。これは我慢して断つのではなく、甘い物そのものが嫌いにならなければ駄目だと気づいたのであるが、一体どうすれば甘い物が嫌いになるのか、その術も分からぬまま年月は流れた。
それが、数年前から少し希望の光が見えていた。というのは、私が30年近くずっと御縁を頂いている整体協会・身体教育研究所の野口裕之先生が、4月頃は砂糖を一切摂らない禁糖期間を設けると、体が大きく変わることに気づかれ、会員の人達にもそれを勧められるようになられたからである。そのため、私も3年ほど前から4月頃、2週間くらい砂糖気は一切摂らないようにしていた。
それによって、どれほど効果が挙がったのか当初はあまり私自身は分からなかったのだが、一昨年(2008年)4月の終わりから禁糖を始めた時、この際砂糖以外の果物の甘さも止めようと、果物に関しては人一倍好きな私が、自宅の庭にいつの間にか育った昔ながらの酸っぱい夏ミカン以外は食べないように徹底して10日ほど行なってみたのである。
すると、その期間が明けてほどなく、人と打ち合わせのため入った喫茶店で、コーヒーも紅茶も飲まない私としては、試みとしてオレンジジュースを頼んだのだが、運ばれてきたオレンジジュースを一口飲んだ時、その甘さに辟易としてしまい、二口と飲めなかったのである。この時の気持ちを何と例えたらいいだろう。「あれっ、あれほど好きだった果物を搾ったジュースをこんなに受け付けないなんて!これは、ひょっとしたら長年憧れてはいたが自分には無理だと思った甘い物嫌いになれたのかもしれない。しかし、一時のことで、また元に戻ってしまうんじゃないかな?」と、嬉しさと疑念の交じり合った実に複雑な思いを抱いた。
その後、この甘い味嫌いは暑い夏の盛りになると、スイカやブドウも食べたいと思うくらいまで一時戻りはしたが、菓子に関しては戻ることがなく、秋になって、以前から好物だった干し芋などは食べたが、菓子類はそれまで私が食べていた量の何十分の一以下になったと思う。(というのは客として行ったところで勧められて断るわけにもいかない場合、一口だけ食べたりといったことがあったからだが、自由にできるところでは殆ど全くと言っていいほど口にしなくなったからである)
そして、昨年も4月になって中旬から禁糖を始めたところ、昨年は「今日から一切甘いものはやめよう」と決めたその日から、もう菓子屋に並んでいるケーキなど見ただけで口の中が甘ったるくなって辟易としてきて、「ああ、自分も本当に“甘い物は苦手”と言えるようになったのだなあ」としみじみ嬉しかった。
私が甘い物嫌いになった事を喜んでいると言うと、「そうやって人生の楽しみを減らして、なぜそれが嬉しいのか分からない」などと言われることがあるが、私としては武術の研究という他に代えがたい生き甲斐があり、なるべくそれに集中するためにも、他に楽しみを増やしたくないという思いがある。それに、武術の稽古をしてゆく上で、甘い物を止めればやはり疲れ方が明らかに違ってくることがありがたい。
人体にとって糖分は必要、特に脳には不可欠などと言われるが、それだけに人間の体は何万年もの間、糖分が足りない時、如何にしてこれをカバーするかという事に随分と工夫が重ねられて来ているらしい。そのため糖分が足りない時、そこを何とかする機能は十分備わっているが、現代のように有り余っている糖分をうまく処理することは苦手らしい。それはそうであろう。甘い物が存分に食べられるように日本人がなったのは、ほんのここ数十年のことである。それまで何千年、何万年以上も人類は食糧の調達に苦労し、甘い物は貴重品であった。
この甘い物が貴重であった頃は、体がよく働いて甘くない物から糖分を体の中で作り出していたようだが、そうした機能をよく働かせることは運動不足の人間よりも、よく体を使った人の方が丈夫なのと同じように、体の為にもいいのではないだろうか。もっとも、無理をして甘い物をしばらく禁じても反動がくることが多いから(例えば、アイスクリームが大好きだった人が、しばらくその好きなアイスクリームを完全に断っていたのだが、ある時、小さじ一杯のアイスクリームを食べたところ、どうにも止まらなくなって、小さなバケツ一杯ほどもアイスクリームを食べてしまい、その事がキッカケで自己嫌悪するようになり、ついに精神的にも病んでしまったなどという事もあったようだ)、これは誰にでも勧められないが、これから食糧不足の時代が来るかもしれないと言われているし、女性など甘い物を一切断てば体調が著しく好転する事は多いので、意を決して試みられる価値はあると思う。
しかし、日本各地をあちこちと講習会などで飛び回っている身としては、禁糖期間中、旅先や外出先などの食事に困ってしまう。
とにかく現代では、よほど特別なレストランや食堂でないかぎり、調理に砂糖を使わないところは皆無と言っていい。野菜の煮物などを食べたいと思っても、甘ったるく味付けしてある場合が殆どで、サラダなどもドレッシングに砂糖が入っていないことは、まず無い。
最近はメタボ対策とか禁煙、分煙といった事がうるさいのに、どうしてただザッと茹でた野菜とか蒸し野菜とか言うものが簡単に食べられるようになっていないのだろうか。
また、禁糖中はアルコールもコーヒーも摂らない事になっているが、もともと普段からそれらに縁のない私は、そうした飲み物を飲まない事自体は何でもないのだが、紅茶も嫌いな私は本当に飲むものがなくて困る。まあトマトジュースか牛乳にするか、同行者の飲みたい物を2つ頼んで、私は水だけにするしかないのだが、世を挙げてこれだけ「健康、健康」と言うのなら、麦茶かハトムギ茶などを喫茶店でもごく普通に置いてもらいたいと思う。
ペットボトル入りの飲料で私が最も好きなのは、創健社の「五穀大黒茶」で、これは体にいいからとか、そういう理由よりも何より味が好きで、私はこれがあれば最も嬉しいのだが、売っている所はきわめて限られており、一般的な所では新大阪の駅の地下で一箇所売っている所があるくらいである。そのため、ここに寄れる時は必ず寄って、これを買うのだが、味の面でも殆どの人に喜ばれるこうした飲料が、なぜもっと広く手に入らないのか、また喫茶店で取り入れないのか、実に不思議な気がする。
民主党政権に替わり、統合医療という現代医学以外のものも取り入れようという事になってきたようだが、それならば是非レストランでも、ただ茹でたか、蒸したかしただけの野菜に客の好みで醤油や塩だけをかけられるような品を用意して欲しいし、喫茶店でも穀物茶を出すようにして欲しい。行政のやる事というのは、とかくちぐはぐな事が多いが、メタボ対策、健康対策を打ち出すなら、こういう基本的なところを是非しっかりやってもらいたいと思う。
しかし、ここでこのように嘆いていても、すぐに何とかなるわけではないので、今年も禁糖期間中は、蕎麦粉と木の椀と醤油を持って出かけ、出先で蕎麦粉を湯で練って蕎麦掻きを作って食べる事になりそうだ。
