私が松聲館道場を建て、武術稽古研究会を立ち上げて、武術研究を一生の仕事にしようと、この道を歩み始めたのが1978年、昭和でいうと53年の秋だから、現在この道に入って満31年を少し過ぎたということになるだろうか。この間、さまざまな人と出会い、いろいろと教わり、気づき、いつの間にか還暦も過ぎた年令に至っている。

 振り返れば、本当によくあんな未熟さで道場を開いたものだと現在では呆れるほどのレベルで、向こう見ずにもこの道を仕事にしようとしたのだから、まあ私自身の意志で、というより、20代のはじめに志していた農業が生産第一で工業化されている事に絶望し、進路を見失って灰色の数年間を過ごしていたため、何かに背中を押されたのではないかと思う。
 ただ、「幸いにも」というか、「不思議なことにも」というか、小学生の時は体育は殆ど2で、自他共に認める運動オンチ、長い距離を歩いたり走ったりすることと相撲をとることぐらいは、まあ人並みかそれよりもいくぶんはマシといった程度の人間が、半世紀近く経ってスポーツの専門家や現役の格闘技の選手と手を合わせて驚かれるようになったのだから、人間というのは分からないものである。

 どう考えても素質という点では恵まれているとはいえない私が、なぜ還暦を過ぎた現在が、技を使うという点では体が最もよく動くという、世間の常識とは違ったことが出来るようになったかは、運が良かったというしかない。
 そして、その運に導かれ、さまざまな人や事象と出会って技を進展させてきたのだが、この三十余年の武術研究の人生のなかでも最大の気づきと思われることが、今年2010年の1月末に起こった。

 私はいままで武術の技と、その術理に関して大小それこそ数え切れないほどの気づきがあった。たとえば1992年の秋、固定的な支点による効率の悪い円運動の問題に気づき、これに代わるものとして平行四辺形の変形による動きをモデルとした『井桁崩しの原理』の提案などは、その代表例である。
 そして、その後も体の中が渋滞を起こさないように使う『追い越し禁止の原理』や、体全体の力を少しずつ出して使うことで、体の負担も少なくなり、気配も消えて、相手がより対応しにくくなる『共同募金の原理』、また、これに関連して私が合気道や鹿島神流の剣術等を学んでいた頃からの経歴を入れれば40年近くずっと行なっていた、現代剣道では常識となっている、刀の柄を持つ時、左右の手の間を離して持っていたのを、左右の手をつけて持つようにした事(これは2008年の5月末に気づいた私の具体的な術技改訂のなかでも最大のものである。その後、この左右の手を寄せて刀の柄を持つ持ち方は、江戸時代以前の剣術の世界では、むしろこれが主流であった事が分かってきた)などなどが特に印象深い。そして、これらの原理に気づいた時も、それなりに感動はあったが、今回の気づきはそれらとは明らかにランクが一段違う気がするのである。

 そのため、今回の、この“ほころび”では、当初の予定を変更して、この最新の、そして私にとっていままで最大の武術の術理の気づきについて書くことにしたい。
 この術理は今年2010年の1月26日にハッキリとした形で姿を表した。この日、私は私の道場に、私が提案した武術の技を介護に応用することで非常に効果を挙げ、その技術の開発と指導のために、昨年2009年などは国内各地300ヶ所くらいをまわって、殆ど休みの日がなくなってしまった介護福祉士の岡田慎一郎氏を迎えていた。

 この岡田氏と会うのはいつ以来であろうか。何かでチラッと会った事は数ヶ月前にあったような気もしたが、とにかく武術の技を受ける事を大変楽しみにして、自称技グルメの岡田氏と、ある程度時間をとって稽古するのは随分久しぶりであった。そこで、最近の私の技の変化、肩の付け根の三角筋を大事にして、ここに負担をかけないように動くという体の使い方について解説しながら体験をしてもらった。
 岡田氏は一時期かなり「投げ技ありの空手」を稽古していたという事もあり、武術的センスもよく、また新しい介護法の研究と工夫で体の使い方が常人より優れている(体重57キロほどの岡田氏が、先日体重約150キロの人間を抱え上げ、周囲の人を驚かせたらしい)上、話術も巧みなので、私の解説の通りもよく、私自身も自分の発した言葉をうまく受け取ってから当意即妙に返してもらえるので、つい乗ってしまい、当初は2時間ほどで終わりにするつもりが(私もやらなければならない事が山積みしていたので)、その倍以上の約5時間くらい岡田氏と稽古をしてしまった。

 そして、その稽古の間に気づいたのが、『キャスター・風見鶏の原理』と仮に名付けた術理であり、それによって可能となった動きである。これが私の武術研究30年のなかで、なぜ明らかにいままでの術理とは1ランク上の術理であるかというと、現在広く知られている武術(武道)の術理は、相手の真向まともな攻撃や加圧に対しては、それを避ける形で、その死角に入って行くとか、その真向まともな攻撃のその線により近い形でカウンター的に割り込んで行くというものが多いが、これらとは全く質が異なるからである。
 また、真向まともな攻撃とは異なり、こちらから相手に向けて仕掛けて行く際、たとえば柔道やレスリング、総合格闘技などでは、その相手を掴むなり何なりしようとした手を横からハタくようにいなされたら対応は難しい。ましてやハタきつつ体全体はハタいた手の向きと反対方向に移動された場合は、ほとんど対応を見送るしかない。

 そのため、柔道でこのようなハタきつついなすという対応を繰り返していると、消極的な態度として“指導”をとられ、それが再三にわたると、もうそれだけで負けてしまうようだ。つまり、このような逃げつついなすという対応法に対して現代柔道では有効な反撃方法がないため、いたずらに競技時間が延びてしまうので罰則を設けて規制するようにしたのだろう。
 このような消極的な対応法に対しても、私は以前から研究し、ある程度有効な対応法をみつけてはいたのだが、今回、『キャスター・風見鶏の原理』を見つけてからは、この原理がいま述べたような消極的対応法に対しても、その対応力があまりにも大きいので、いままでどうやって対応していたのか、その方法を忘れてしまった。

 さて、私自身がいままでに例がないほど有効だと驚いた、この『キャスター・風見鶏の原理』とは、どのようなものかというと、キャスターも風見鶏も、それらに対して力が向かってきた方向に自動的に向くという原理を使っている。つまり、キャスターは車輪の中心にある軸を支えるアームが、その車軸の中心より外れるように伸びていて、そのアームが上の構造物と接するところにベアリングが入っており、自由に回転できる構造になっているため、その上の構造物(台車であったり、机であったり、ベッドであったり…)をある方向に移動させようとすると、その構造物が押され、あるいは引っ張られた方向に直に車輪が向かうので、どんな方向にでも(平らな床や地面の上などであれば)自由に移動することが出来るのである。

 ここで余談になるが、このような簡潔でありながら実によく出来ているキャスターという道具について、私は著書などで、いままで再三にわたって触れ、「これがなぜ長い間普及しなかったか、実に不思議である」と述べてきた。何しろキャスターは100年くらい前に発明されているのだが、私が子供の頃は僅かにグランドピアノの下に使われているのを目にした程度で、運送関係の業界の間ですら台車にキャスターが装備されたのは20年ほど前だという。そのためであろう、1995年に起こった阪神淡路大震災の時、日本中から駆けつけた震災復興のボランティアの人々のなかには、キャスター付きの台車を初めて使って、「へぇー、これは便利だ」と驚いた人がいたという話である。それに現在二十歳ぐらいから下の世代であれば、幼児の頃乗ったベビーカーは恐らくほとんど全てキャスター付きだったと思うが、二十代半より上の世代の人の場合は、ほとんど全て幼い時乗ったベビーカーはキャスターが付いていなかったと思う。つまり、その僅か数年の間に、キャスターは日本中に驚くほどの勢いで普及したのである。
 このようにキャスターについては、いままでにも様々な場でいろいろと話したり書いたりしてきたので、私が今回キャスターを例に術理の解説をすると、「ああ、キャスターについては以前から話されていましたね」と言われることがあるが、いままではあくまでも実に簡単な構造でありながら、大変有用な道具の具体例のひとつとしてキャスターを例に挙げただけで、キャスターの構造そのものを術理の具体的説明に用いた事はなかった。それが今回気づいた新しい術理を例えるのに、キャスターは最も向いており、その補足として風見鶏を挙げたのである。

 ここまで書けば、ここであらためて風見鶏の原理を説明する必要もないと思うが、念のために述べておくと、風見鶏は風向計であり、矢印のように作られている、その先端が常に風が吹いてくる方向を向く、きわめて簡単な測定器である。なぜ矢印形をしたその器具の先端が風上方向を向くかといえば、誰でも一目見れば分かるように矢印形をした、その風見鶏の先端は矢のように尖っているので風の抵抗が少ないが、その後部は風見鶏というように鶏形や大きな矢羽状の風受けがついていて、その先端と後部の間を回転しやすい軸が貫いているために、それで風見鶏が成立しているわけである。つまり、キャスターは力がかかる方向に車が向かうが、それは進行方向に車の回転方向が向く事が、そのキャスターにかかる負荷を最小にするからであり、風見鶏も矢印形の後部の風受けに風を受けることで、尖った先端が風上に向いて、自然と風の抵抗を最小にしているのである。

 そして、この原理に例えられる『キャスター・風見鶏の原理』とは、相手が攻撃加圧してくる力の方向の芯に、こちらの力の方向が自動的に向くという原理なのである。ただ、これはあくまでキャスターの働きを「例え」として用いているので、厳密な意味でキャスターという構造をした器具が、この武術における『キャスター・風見鶏の原理』を表してるとは言えないことを断っておきたい。
 そして、この体をキャスターのように装置化して使うためには、すでに少し触れたが、肩の付け根の三角筋をある特殊な状況に置く必要があるのである。

 その事に気づいた経緯については、経営法の大革命とも言うべき面白い話があるのだが、長くなるので、またあらためて述べることにしたい。

私(紺の道衣)が白い道衣の相手の肩を掴もうと、右手を出したところ、相手は、その私の右手を払っていなそうとしたのだが、私の手に触れた瞬間、手がすべって私の腕を払えなくなったところ。
これは払おうとした相手の腕の力に対して、私がこれに反応して力を入れるわけでも、抜くわけでもなく、ただただ相手の力の来た方向へ私の腕が向かうように体を装置化したためである。そのように装置化された私の腕に触れた相手は、私の腕の状態がどのような事になっているのか全く読むことが出来ず、そのため私の腕を払うという動作を緊急停止させて様子を探ろうとせざるをえなくなる。
その結果、相手の腕の力は抜けざるを得なくなり、自然と私の腕を払えなくなったと思われる。そのため、この時、相手は私の腕を払えた時よりも、私の腕に触れた際の圧力が遥かに低いことを実感できると思う。