希望
まわりの先生たちは、「人間が何のために生きているか」という問いに答えられないままであるにも関わらず、平気な顔をして授業をしている。「これはなにかの悪い冗談ではないか?僕はひょっとすると、誰かに騙されておかしな宇宙に一人放り込まれてしまったのだろうか?」
あの頃私は、そんな薄気味悪い不安に襲われていた。

いまにして思えば、そのような時期に、本当の意味で世界に失望してしまう前に甲野先生と出会うことができたのは、僕にとって幸せな出来事であった。
当時の私には、甲野先生の個々の技など目に入らないほど、甲野先生という人間が、紛れもなく「本物の人間である」ということが、私にとってはことばにできないほど重要な意味を持っていたのである。
「僕は独りではない」
そうはじめて確信できたのが、あの中学2年の春だった。

甲野先生は学校の先生とは違い、自問自答を繰り返しておられた。
これでいいのだろうか。もっといい方法はないか。
「これが正しいからだの使い方だからみんなもこの通り実践しろ」などとはおっしゃらなかった。次から次へと技は成功するにも関わらず、「しかしこれはもっとこうしたほうがひょっとすると・・・」と、問い続けるのである。

物理が分かっている、と言って重力の仕組みも教えてくれない理科の先生とは違って、甲野先生は「分からない」と真正面からじっと向き合っておられた。

それは私に、真の意味での生きる希望を与えてくれる出会いだったのである。

尊敬するおとながいない限り、こどもは生きていくことができない。
自分自身のビジョンを描く際の道標として、また日々を生き抜くモチベーションの源泉として、子供は尊敬すべき対象を必要としているのだと思う。
尊敬すべきおとなの存在こそ、こどもにとっては最大の希望なのである。
しかし、現代を生きるこどもたちにとって、尊敬すべき大人と出会うことは至難の技なのかもしれない。

私にとって甲野先生はまさにそのような存在であった。
中学時代から、「大学の教授になりたい」「会社に就職して出世したい」というような願望は一度も抱いたことがないが、「いずれは甲野先生のように、自分自身の道場を持って、そこで自分の道を探求するような生き方をしたい」

いつの間にか、私はそのような思いを抱くようになっていた。

真の意味での学問には、学問分野の垣根などないはずである。
「わたしたちは何のために生きているのか」という問いに対する、より良い答えの探求が学問の本質であり、そのために必要とあれば学ぶべきことはすべて学ぶ必要があるし、試みるべきことはすべて試みる必要がある。
私は大学には文科2 類で入学し、会社の設立を通してビジネスを学び、工学部へ転向後はロボティクスを通して身体性認知科学を学び、現在は数学科で代数幾何学を学んでいる。一見すると次から次へと興味の対象が移っているようではあるかもしれないが、私の中では中学時代から一貫して、「人間が何のために生きているのか」という問題に興味があるのであって、この問いに対して、様々な切り口から取っ組み合ってみているだけなのである。

学問というのは、なになに大学のなになに学部で専攻して、なになにジャーナルに論文を投稿する、というようなものではなく、どこにいようが、誰になんと言われようが、それと関係なく自分自身で展開していくべきものであるはずなのだ。

そのような姿勢を、私はいまでも甲野先生から学んでいる。


奇跡
中学2年生のときに甲野先生と出会って以来、ときどき甲野先生の道場にお邪魔させていただいては、先生の技を受けさせていただいたり、様々なお話をさせていただいたりしている。甲野先生の道場は、いつの間にか私にとってのかけがえのない「学校」のような存在になっていて、そこで私が学んできたことには限りがない。

もし私がこれまでの10年間の先生とのお付き合いで、先生から学ばせていただいたことを一言でまとめるならば、
「人生は、生きるに値する」
そういうことになるのではないかと思っている。

このように、私の「先生」でもあり、また「尊敬する大人」であり続けてきた甲野先生と、今回このようなかたちで「この日の学校」を開催できることに、並々ならぬ興奮と感慨を覚える。

今回のイベントを前にして、甲野先生は松聲館のサイトの随感録の中で、
このように書いてくださった:

私も今まで奇跡的とも思える程、普通では滅多に出会うことの出来ない人と出会え
る運だけは人並み外れてあるという事を実感していたが、私と出会った事を”かけ
がえない出会い”と思ってもらった中学生が、ほぼ10年後に、私が私自身の生涯
でも、これほどの出会いは数える程しかないだろうという人物に成長して一緒にセ
ミナーを出来る事を、本当の奇跡のように思うのである。

私もまったく同じように感じている。
10年前に中学2年生だった私が、学問に落胆し絶望しかけていたときに出会い、真の希望を与えてくださった甲野先生と、現在このようなかたちでともに「この日の学校」を立ち上げることができるということに本当の奇跡を感じるのである。

学校の教育に落胆し、あるいは受験勉強につかれ、学問に絶望をしかけている過去の私のような後輩たちが、かつて私が甲野先生との出会いを通じて学問に対する希望を取り戻したように、「この日の学校」を通じて学問に対する関心と意欲を取り戻してくれたら、これ以上幸せなことはない。