アメリカで大量のミツバチが忽然といなくなる事が頻発しているという話は、1年以上も前から耳にしていて、少なからず関心はあったのだが、日々の忙しさに押し流され、この事について詳しい情報には触れることのない日が続いてしまった。
それが5月の末、このミツバチの大量失踪について書いた本『ハチはなぜ大量死したのか』(原題『Fruitless Fall』“みのりなき秋”)の著者ローワン・ジェイコブセン氏のインタビューの載った新聞記事を読み、文藝春秋から刊行されているこの本をすぐに取り寄せた。
ただ、本は届いたものの、その時はどうにもならないほどの忙しさの最中だったため、実際に本を開いたのは6月の終わりになってしまった。この日もかなり忙しくはあったのだが、本を開いて2時間ほど他の事は殆ど忘れてしまった。「一体、これほど強く私の心の中に食い込んで来る本は、いつ読んで以来だろうか…」と、やや呆然となった。
この本にはハチという生き物が農作物をはじめ、様々な結実植物にとって如何に重要な存在であるかという事と、その勤勉な性質が如何に人間の利潤追求の犠牲となって、過酷な状態に置かれているかが見事に描いてあったのである。心ある人ならば、この本を読んだ後、アーモンドを食べることに、ためらいを感じるのではないかと思う。なぜかというと、カリフォルニアのアーモンド林のアーモンド結実のための授粉にかりだされるミツバチの哀れさには胸につまるものがあるからである。そうした酷使のみが原因ではないらしいが、CCD(Colony Collapse Disorder)、蜂群崩壊症候群と呼ばれるミツバチの大量失踪は、アメリカのみでなくヨーロッパやアジアにも拡がり、2007年の春までに、北半球のミツバチの約3分の1にあたる300億匹が失踪したというのである。
とにかく利益の為なら何でもやるという人間という動物のおぞましさを、あらためて深く深く考えさせられた。というのも、私が現在こうして武術研究という仕事をする事になったのも、元はといえば農業、特に動物を扱う畜産の工業的産業化に、どうしようもない疑問を持つようになったからである。
その疑問を持つようになった最初のキッカケは、私が19歳の夏、東北の大きな農場に、東京農業大学畜産学科の2年生として実習に行った時に遡る。ここで私は忘れようにも忘れることの出来ない現代の畜産が行っている衝撃的な事実を直に目撃してしまったのである。
私が実習に行った農場は、山手線が全部納まるような日本では稀な大規模農場であったが、私はその中で鶏の雛の生産現場に配属された。そして、そこでは卵から孵ったばかりの雛のうち雌雄鑑別を終わった雄が、特大のポリバケツに投げ入れられ、一杯になると足で踏みつけて、さらに詰め込まれ、その農場の中に掘られた巨大な地下の雄雛捨場に、煙突のように立っている投げ入れ口から捨てられていたのである。足で踏まれた時の雛の悲鳴と2、3日してその雄雛捨場の横を通った時、そこから聞こえてきた、か弱い雛の鳴き声は今でも耳の底に残っている。
この体験を通して私は、生まれてからそれまでの間に感じた事のない、何とも言いようのない怒りというか恥ずかしさというか、人間の身勝手さ、業の深さに、私はこの先も畜産という世界に身を置くことに絶望的なものを感じたのである。そして、その直後、当時としてはまだ珍しかった玄米自然食の世界を週刊誌の記事で知り、一気にその世界にのめり込んでいった。
私は子供の頃から人一倍内気で、およそ対人交渉が出来るような人間ではないと自分自身で思い込んでいたから、将来は南米かどこかに行って、ノンビリと牧場でもやりたいと思っていただけに、およそそうした牧歌的な生活とは、ほど遠い経済性最優先の現代農業の現実に、私がそれまで描いていた進路は変更せざるを得ないと覚悟した。それだけに、そうした畜産などやらなくても数百年以上もの間、十分に健康に暮らしてきた、かつての日本人の農業と食生活への関心はいやが上にも高まり、その方面の本を読み、人に会い、それから僅か3ヶ月、本格的な冬の寒さが来る前に、私は周囲のほとんどの人間とは議論しても負けないだけの闘士に変身していたのである。
とにかく「何ということだ。世の中間違っている。大学の教授なんていったところで、人間の生命の働きや大切なことは何も分かっていない、ただの技術屋じゃないか」という思いはどうにも抑えようもなく、議論の相手を求めて、当時は駅前などで黒板持参でいろいろ説法をしていた“統一原理”の若者と議論し、相手が辟易して黒板を片づけて帰るまで4時間でも5時間でも議論し続け、自分自身の論戦技術も磨き上げていった。
しかし、そうこうしているうちに次第に空しさが募ってくる。やがて私は『無門関』や『臨済録』といった禅に関する本や、中国の古典である『老子』や『荘子』を読むようになり、特に『無門関』と『荘子』は座右の書となって、大学へ行っても授業はほとんど出ず、大学近くの自然食品店で店番をしたり、大学の図書館に行って、いま述べた禅や『荘子』や宗教関係の本を読むようになっていた。
そして、そのかたわら、いわゆる民間療法の講習会や合宿に行き、さまざまな縁でいろいろな人とも知り合って、新宗教の本や修行もかじってみたが、どうにも納得が行かず、ひたすら「人間にとっての自然とは何か」について考え続け、21歳の時、「“人間の運命は完璧に決まっていて、同時に完璧に自由なのだ”、そしてこの矛盾こそが自然の姿であり、それは言葉や理論を超えて体感をもって知るしかないのだ」と気づいたのである。
そして、その動かしがたい私の思想を、体感を通して確かなものにしようと思い、種々考えたあげく武の道に入ることに心を決めた。それは、運命が決まっているといっても、実際に打たれたり投げられたりしそうになったら、人間は本能的に何か対応しようとするわけで、その「思わず何とかしようとする」その働きそのものを見つめることで、“人間にとっての自然”といったものが何か見えてくるのではないかと思ったからである。それで、何を始めようかと、いろいろ考えた末、新宿にある財団法人合気会の合気道本部道場に入会したのである。昭和46年(1971年)7月1日、私が22歳の夏の事であった。
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